2026-05-16

平成令和2026 今も変わらず

 



自分が山を始めた頃はガラケー時代全盛。テレビが見れるようになった時なんかまるで車のカーナビと一緒だ!なんて今でも凄く感動したのを思い出す。

山の中では遭難した時の連絡手段に御守りになるからと携帯電源OFF。もちろんSNSでUP、携帯で風景撮るような今みたいな高性能なカメラ性能なんて無く、メールと電話するかが主な純粋?な物だから、現代のスマホのような万能ツールになる何てその時は想像すら出来なかった。

ちゃんと写真撮影するならデジカメ必要。地図はコンパスと紙地図で道迷い防止。地図読みできないなら山に1人で入るなと山の先輩から教わった。登山道を見失った時なんかはやはり紙地図とコンパスで必死のパッチで元来た道に戻ったもんだ。

そう、今みたいにスマホで万能にこなせる訳じゃなく必要なものはそれぞれの道具達が担っていたから、必然的に装備も増えちゃうっていう笑。

現代はGPS機能を活用してナビアプリも当たり前だから本当に便利になった。まるで読図スキルなんて過去の産物のよう。だってアプリ立ち上げたら自分の居場所が瞬時に分かるんだから。

でもでも、

そんな時に得た山のスキルが今も非常に役立っている。

失敗も一杯した。あの時代が本当の意味で山で“生きる”事に専念した。

今みたいなデジタル技術に頼れない登山を経験してきたから、今でもリスク管理には自分の知る、できる範囲の事はもしもの時の為に備えておく。もしスマホ落として紛失したり故障したり電池使い果たしたり⋯⋯このリスクを想像してしまうからアナログ技術は手放せない。

だから個人的にはたぶん今後もYAMAPもヤマレコも使わない。地図を読む時間は要るからタイパとは真逆かもしれないけど、なんか、ちゃんと自分の事やってるんだよなぁという感覚はアナログにはちゃんと残っている。

そんな自分も、年月の経過と共に変わったのは冬山のホワイトアウト対策に買ったGPS。バリバリなデジタルツールだけど生命を担保する大切なナビゲーションツール。それがもし壊れたら今も迷う事なく再びGPSを買う。

だから現代の地図アプリを使うのを否定なんかしないし何なら全然肯定する。だって遭難しちゃったら助かる確率はそれで格段に上がるから。単にそれを自分は使わないだけだ。

そんな自分は今日も山には紙地図コンパスを持って行く。

地図読みして“生きて”帰ってくるために。


NuuHiker

2026-05-07

財布をリペア

 

深夜に起きていきなりMYOGりたくなった。

と言っても今進めている自分の製作だと、脳内体力を寝起きからいきなり消費するのでリペア作業ぐらいが、朝のランニングするみたいに心地よかった。


山雑誌の付録についてたコンパクトな財布で使用数回にて糸がパンクしたから全部バラして保管していたのを縫製。。。




下の画像
右側が新たな縫製(緑の糸色のです。)





小銭ポケットも無事作動。以前のはここの箇所から糸解れが発生したので、改めて補強を加えた。





縫製しながら自分の製作物の事を同時に考えり、この財布の元の形を思い出したり。結局わりと脳みそ使ってしまった感はあるけど。笑


ではまた!


2025-10-21

U.L. 何周か回ったULカルチャーについて私見

 日本のアウトドアシーンにも今や標準語となったUL。

アメリカで起こったハイキングカルチャーで、ULはウルトラライトの略語だ。そのまま直訳し“超軽量”という文脈だけが一人歩きしちゃうのは個人的にはちょっと惜しい気がする。軽量という言葉だけでこのテーマを語るのは抵抗がある。


そもそもULというのは山をハイキングする上でどうするのか?での行動論を考える部分が大きいんだと実感する。

いかに身体の負担を減らし、アメリカの長大なロングトレイルをより楽に(身軽に)遠くへ(早く)歩けるか。レイ・ジャーディンが自身のトレイル哲学を提唱・実践し、体現して今現在へとその思想がハイカー達へ繋がれ進歩する中で、もちろん道具論というのも並行して語られてきた。

レイ自身クライマーだし、カムデバイス作った人。クライミングはそもそも道具を沢山使うし、それが無いと課題を達成できなかったりもする。

でも、ハイキングやクライミングは道具に100%頼る訳ではないし、そのロングトレイルの道中の中で、いかに自分自身が自然と接するのか。楽しむ(しめる)か。最終的にどのような目的意識を持つのか。等々大切な部分はツールでは無くマインド的なところだと思う

しかし、アウトドアは道具の進化もすごいから(道具を極めるのも実は面白い、)道具抜きには語れないのも事実。でも道具が主体やメインテーマではない。

道具ありきのその(重量を根拠に意味するのが大きいが)装備じゃないとULじゃないよ!みたいなUL警察みたいなのが本当に良くないし、それは同時にカルチャーから人を遠ざけもする。

極論、お金さえあればギアなんて誰でも等しく手に入るしね。

確かにテクニック面では、何kg以下に設定される様なベースウェイト等の、装備の基準となる数値が存在はする。けれどもそれをマニュアルみたく厳守する必要はないはずだろう。そうじゃないと駄目なんだとか、それこそ道具ばかりに目が行ってしまい、自然を楽しむ本質とは少しづつズレていくような気もする。

そもそも道具の軽量化はULだけに限定される話ではないし、UL以前にも道具の進化や登山者の努力で軽量化を実践するのは当たり前の行為だったはずだ。

お金さえかければ劇的に軽い道具は揃えれるし、直ぐに達成できちゃうそれが全てなら、そんなモノがULの本質・本来の目的なのか?

大事なのって人それぞれの価値観だし、それは本当に自由に。何もULとかそう云う枠組みじゃなくて。

以上を纏めると、個人的にはマインド部分が非常に大きなパーセンテージを占めていて、そのマインドで向き合う時に自分に合ったツールを使い旅を充足・補完する感覚

仮に自分的にULスタイルで行くなら、なるべくシンプルな装備で身も心もシンプルに。その感覚を味わう為に歩きたいから、自分の中のギアリストからはなるべくシンプルに使える物で、それに軽さが伴ってくれていれば背負うバックを身軽になり歩ける気分にも変化するかなぁ。装備も軽くなればより沢山の距離を歩きたくなるかもだし、もし当日その気分になるならフレキシブルに動けばいいんじゃないの。

みたいな。これで伝わるはず!笑

でもこれって、ULスタイルじゃないと出来ないのか?それに対してはUL以外でも全然できるし、だから決して道具ありき。道具先行じゃなくて。自然に対して、どう向き合うか。だと思う。シンプルに楽しむ事が大切だと感じるし、体験すればするほど自分らしいシンプルさに気付ける様な気もする。

だからちょっとULって?と言う問いかけに対して、自分なりの結論をちょっと強引かも 出せるならばやっぱりレイ・ジャーディンに戻るけど、ギア論(←もちろん無視できないし男の子特にハマりやすい要素)が核じゃなく、マインドが核なんだなって思う訳です。

※スピリチュアル要素では語っていません 念の為。

 本当にみんな山を思い想いのスタイルで楽しめば最高じゃないかって思う。

ヘビーウェイトな装備でもカリカリな軽量装備でも、もし何か困ってる事があるならお互いTIPSを共有して、お互いリスペクトして登れば歩けばいいじゃない。

山道具が好きなオタク気質の方でも、耐久性の高い山道具が安心な方でも、山頂で食事を楽しみたいから道具沢山必要な方でも、のんびり登る、ストイックに登る。人それぞれ。山は等しく迎えてくれるから。

みんな平等なんだって、普通に山をハイキングしていたら気づける事だと感じるし、誰が偉いえとかないからね👍

ただ、ピークハントが目的で途中の景色とか興味なし!とか、登る前に道具揃えて大満足で山に興味なし!とかならちょっと悲しいかも😢


最後はちょっと本題のULからは横道に入ったかも知れないけど、アウトドアなんてギスギスしても何も楽しくないし、他人批判してまでやるもんじゃないって事を言いたかったのです。

勿論危険行為は絶対に駄目だけどね。


ではまた👋